自分の時間
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自分の時間
決して本がすべての領域の知識を網羅しているわけではない。自らを向上させた意を思う心は、読書以外のものによっても十分に満たしうる。
また、本さえ読めば、やろうとしていることを毎日きちんと率直かつ正直に検討しなくてもいいということにはならない。
いくら本を読んでも、自分をしっかり見つめることは重要である。
一日の三分の二の時間を、三分の一を占める勤務時間に付随している時間にすぎないとしてしまうなら、充実した一日を送ることなど不可能。
完全に充実した一日を送りたいと思ったら、頭の中で、一日の中にもう一つ別の一日を設けるようにしなければならない。この「内なる一日」は仕事以外のすべての時間がそうである。
一週間は七日として計画を立てるよりも、六日しかないとして計画を立てたほうが能率が上がり、より充実した生活が送れる。
ただ、余った一日はたまたま手に入った儲けものの一日として考えるべきであって、当てにしてはいけない。
家を出たらひとつのことに思考を集中してみる。
別のことを考えようとしたら、無理やりそれをもとの志向に引きずり戻す。最初はまったくうまくいかないが、続ければ必ずできるようになる。
一番大事な学習とは自分自身を学ぶことである。
「人間よ、汝自身を知れ」
自分の幸福とか、自分の進もうとする道、人生が与えてくれるもの、いかに理性的に決断して行動しているか、自分の生活信条と実際の行動の関係など本当に大切な問題について、自分というものを見つめる必要がある。
自分の行動が自分の生活信条とあまり一致していない人生は無意味な人生である。
そして、行動と生活信条を一致させるには、日々の生き方をよく検討し、自分を振り返り、断固として行動するしかないということである。
認識すべきことの中でも、最も大切なのは、物事の原因と結果を絶えず頭に入れておくことである。
原因なくしては何事も起こり得ないという大切な心理を、頭の中に完全にたたきこんでおけば、年を経るにつれて寛容になり、思いやり深くもなれる。
想像よく豊かな詩を読むときには、小説を読む場合よりもはるかに頭を使うことを要求される。おそらく、あらゆる文学の中で一番頭を使う。
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