ビジョン構築 セコム・飯田亮
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ビジョン構築
セコム・飯田亮
ビジョンとは考えに考え抜き、絞り出して作っていくものである。理念もそうだが、たんに作文すればいいというものではない。
また、ビジョンは単なる夢や空想とも違う。けれども夢を描き、空想したことがビジョンにつながっていく。つまり、夢や空想の次の段階がビジョンということになる。
その意味で、空想力も大事である。空想できなければ実現の可能性もないからである。ちょっと現実離れしたような空想を膨らませる作業がまず必要で、それを実現できるような道筋を考え、ロジックを構築するという段階に入って、ビジョンというものが出てくる。
また、ビジョンを実現するためには周りの共感がどうしても必要となってくる。その意味で、ビジョンは提示すればいいというものではなく、ビジョン自体の社会性と、示す人の人間性が問われるのである。
ビジョンには計画性が絶対必要である。ただ考えるのでなく、計画を紙に落とし込んでいき、時系列にスケジュールパートをつくらないといけない。何年何月までにこれをやり、何年何月までにこれを達成して、という計画を書き込んでいかないと行動がつながっていかない。時間軸のないビジョンは夢想にすぎない。
そして、いくら良いビジョンを描き、計画を作っても実行しなければ絵にかいたもちでしかあり得ない。だから勇気がなくては何も始まらない。ひらめきをビジョンとして構築していくエネルギーと能力、そして、それを実行する勇気が絶対に必要なのである。
物事に行き詰ったとき「しょうがない」と言って、すぐに妥協してしまう人間が多すぎる。それでは何も生まれない。考え抜いて精根尽きはててから、それでもあきらめず、もう5分、さらに考える。そうやって何としてでも壁を突き破ろうという執念がなくてはならない。
今は知識が先行した時代で、知恵がない人間が多い。知恵は本を読んでも得られない。知識は土台として必要ではあるが、実社会は知恵で動いている。
では、知恵を得るにはどうしたらいいか。簡単な方法はない。知恵は経験から得られる。経験なしで知恵をつけようというのは無理な話である。知恵というのは習慣であり、不断の日常の積み重ねである。
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